NPO法人 緩和ケアサポートグループ(PCSG)
PCSGレター No. 4(2010年3月)
〒169-0051 東京都新宿区西早稲田3-12-2 伊澤ビル4-D
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河 理事長からのご挨拶
水仙、梅、沈丁花、早春の花々には楚々としたたたずまいと香りがあるようです。
絢爛の桜を待つ静かな時、とはいえ人の世は年度末の喧騒のなかにあります。
皆様いかがお過ごしでしょうか。
昨年の今頃、一人の研究者であり、ソーシャルワークの実践家である服部洋一さんが天に召されました。
不整脈によるとみられる突然の旅だちでした。私と理事の何人かは、彼に緩和ケア臨床の課題を示し、
彼の文化人類学の視座から立ち現れてくる緩和ケアのありようを学ぶことで、意義深い交流を重ねました。
20代から30代前半、彼の輝くような意思、知性、そして闊達ななかにも謙遜で礼儀正しいふるまいは、
将来にわたっての活躍を私たちに確信させるものでした。
私自身の悲しみは悲しみとして、遺された奥様を始め、ご家族の皆様のお気持ちを思うと、
どのような言葉をおかけすることも空しく思えました。
それからひと月足らずの四月下旬、私の大学時代のクラスでリーダー的な大きな存在だった同級生が急逝、
再び、言い表し難い喪失感を味わいました。
死は生の間近にあって虚を衝いて訪れると、身にしみて感じたことでした。
ホスピスでは死を意識しつつ生きることの厳しさを味わうとともに、だからこそ生をより愛しむことを教えられます。
それは死を恐れて、死がくるまでに生を完璧にしよう、
何事かを成し遂げて悔いを残さないようにしようと思いつめることではありません。
死にいたるまでの全ての時間を自分に与えられた賜物として受け入れ、
悲しいにつけ、嬉しいにつけ、苦しいにつけ、誇らしいにつけ、
自分のものとして味わいきるということでありましょう。
春がめぐってきて、植え込みの紫陽花には若葉が育ち始めています。
ニューズレター2009年度第2号(No.4)を、くつろいでお読みいただければ幸いです。
第6回「希望の会」研修会のご報告
2009年12月12日「明日への一歩」のテーマのもとに、
第6回「希望の会」の研修会が開催されました。
今回も天候に恵まれ、
会場の吉祥寺東急イン「コニファールーム」には、
50名程のちょうどよい参加者が集まりました。
東京老人ホーム理事長内海望先生のご挨拶に引き続き、
五十嵐利光先生をコーディネーターに、
5団体によるパネルディスカッションが始まりました。
「地域の病者、障がい者、高齢者を支える
ネットワークを広げていくためには何が必要か?」
「希望の会が担う役割とは?」
について、参加者と共に考えようというのが趣旨です。
PCSGから、河代表が、過去1年の活動報告に次いで、「地域における連携」の課題について提言しました。
私たちのグループは「手をつなぐ、こころをつなぐ、いのちをつなぐ」を活動のテーマにしています。
そのためには"ケアの共同体"が互いの顔の見える地域に存在することが大切であると主張しました。
その試みの一つに「ワンステップサービス」が生活困窮者支援や高齢者福祉の中に取り入れられてきていること、
がん患者を支えていく組織として展開されている、
島根県の「がん患者サロン」、英国の「マギー・センター※」の取り組みも紹介しました。
いずれも、病いや障害をもつ人、その家族が、時宜を得た知識・情報と共に心のぬくもりをえて、
<その中では安心していられる-私はここにいていいんだ>
<自分らしくいられる、生きてきて良かった>
<一人ぼっちでなく、支えられている>
という気持ちを育みあえる場をめざしているのではないか、
PCSG もこのような「場」の一つになることが課題である、と報告しました。
その他の4団体からも、それぞれの活動報告があり、
特に武蔵野ホームケアクリニックの東郷先生は、「どのように生き、どのように死ぬか」を
サポートする医療をしているが、今のままでは医師自身の疲弊・個人生活の破綻にもつながりかねない、
と生々しい医療現場に対する医師としての苦衷を吐露されました。
地域での連携によせる期待・抱負は基本的に私たちと変わらないように思いました。
参加者のうち29名の方からアンケートが寄せられました。「希望の会」という共同体そのものの存在が
ようやく認知・評価されてきたと感じます。同時に、理念を語るだけでなく、
当事者の〔患者さんとご家族の意味でしょう〕声や現状に関するデータが欲しい、
事例検討会、連携の実例などを挙げて欲しい、との意見がありました。
会終了後、私たちに対して「介護者を支えることも視野に入れた活動を」
との声がかかりました。アンケート内容とも併せ、
PCSGへの期待、取り組むべき課題とその多彩さを痛感しました。
※マギー・センターについて
朝日新聞(2010/2/28 朝刊) ひと欄に、同センター創始者・責任者のローラ・リーさんが紹介されました。
第2回 高齢者ケア学習会(ミニ版)のご報告
2010年3月4日、PCSGの理事の一人である中島朋子さんが所長をなさっている(株)ケアーズ 東久留米白十字訪問看護ステーションを訪ね、中島さんやスタッフの方々から地域で在宅ケアを実践されて感じる課題について学びました。
日程の確定が遅れたために、一部の方にしかご案内ができずたいへん申し訳ありませんでした。中神副理事長と河のほかに、理事の稲見さん、東大大学院緩和ケア看護学分野修士1年で、以前に中神先生と同じ病院で訪問看護師をされていた大園さんが参加しました。
以下、中島さんたちが語ってくださったことから、PCSGの今後の活動の課題と思えることを中心にまとめてみました。
《ステーションの活動概要》
・看護師5名(今月から常勤2名、非常勤3名)、
理学療法士(非常勤)、作業療法士(非常勤)、事務職で、
約60名の患者さんをケアしています。
平均年齢は60~ 70歳ですが、
脳性麻痺や外傷性の遷延性意識障害の
小児の患者さんも担当しています。
成人の患者さんの疾患もがんに限らず多様です。
(24時間オンコール体制をとっておられるご苦労を思いました。
中島所長は携帯電話を肌身離さず持って
暮らしておられることを、
明るく話してくださったのですが。)
・新規患者さんの相談は波があり、前週は10件だったそうです。
相談は病院のケースワーカー、地域のケアマネージャー、
役所の相談窓口の担当者からが主ですが、
ご本人やご家族からの直接の電話や面会もあります。
・相談を受けると、本人やご家族とともに状況を整理し、課題を明確化し、必要な情報を提供し、
ご本人やご家族の意思を確認し、その意思に沿ってケアの内容や
療養場所などを考えて実施するという流れになります。
《在宅緩和ケア提供の課題》
・病院から退院の直前、あるいは既に退院して(させられて)途方に暮れている状態で相談に飛び込んでくること
(特にがん患者で治療がこれ以上ないとわかったとき)。
・相談にのっていっても当ステーションの訪問看護につながる方ばかりではない。
他の療養方法を調整する働きはボランティア的に行っていること。
・在宅が困難になったとき受け入れてくれる病院は少ない。療養型病院ではがん患者は敬遠されるし、
一般病院に入院すると不適切な過剰な治療を受けることになってしまうこと。
・緩和ケア病棟では、患者の望む治療の継続が困難な場合が多いこと
(例えば免疫療法を外出してでも受けることを認めない、輸血はしない、
化学療法は一切認めない等)。
また、認知症患者や意識障害患者を受け入れないところもあること。
・ステーションの活動を地域の方々に知っていただく必要を感じ、シンポジウムを計画中。
すでに協力くださる予定の利用者もおられる。
《あるとよいリソース、実施したい活動は何か》
・患者さんやご家族の話をじっくり聞いてくれる(傾聴だけでよい)役割を担う人。
・相談者の課題を整理していくコーディネート的役割を担う人や組織etc.
・地域で亡くなっていく方とご家族のためのグリーフケア。
・単身者の終末期ケアを支えること。
これらのお話から、私たちが協力できそうなことを考えてみますと、まず、ステーションで現在ボランティア的に行っている相談活動の一部を分担することがあげられるでしょう。定期的に相談にのる日を中島さんたちと連携しながら設けること、そのことを広報することです。
私たちがいずれ実現したいと願っている相談サロンの活動には、中島さんたちも同じ考えであると語ってくださいました。いつでもふらっと気軽に相談できる場、くつろげる場となるサロン開設を前提に、他のステーションが抱えている課題についてもヒアリングし、具体化していく必要を強く感じました。
お忙しいなか、仕事を一時中断してお話し下さったステーションの皆様、ほんとうにありがとうございました。
―ライフ・レッスン―
ホスピス緩和ケアの発展に大きな影響を与えた「死ぬ瞬間-死にゆく人々との対話」の著者
エリザベス・キューブラー・ロスは、晩年に病の床で、
同労者デーヴィッド・ケスラーと共に「ライフ・レッスン」という味わい深い書を著しています。
その14のレッスンの中から、印象に残る文章を少しずつ紹介していくコーナーの2回目です。
◆第2章 愛のレッスン より
*相手への愛に付帯していたさまざまな条件をすべてとりはらったとき、
愛はやすらぎと幸福だけに満たされる。
ところがわたしたちは多くのばあい、いちばん愛する人にたいして、いちばん厳しい条件をつけてしまう。
わたしたちはいやというほど条件つきの愛で…文字どおり条件づけられて…育ってきた。
その経験が、条件のとりはずしをむずかしいものにしている。
*無条件の愛をあたえるさいに最大の障害になっているのは、
あたえた愛がむくいられないのではないかという恐れである。
わたしたちは、自分がもとめている愛がうけとるもののなかにではなく、
あたえるもののなかにあることに気づいていないのだ。
*愛のレッスンについておもいをめぐらせれば、
いずれは自己と自己の人生についてかんがえることになる。
いうまでもなく、わたしがまだ生きているということは、
まだ学ぶべきレッスンがあるということでもある。
わたしがお世話をしてきたすべての人たちとおなじように、
わたし自身もまた、どうすればもっと自己を愛せるようになるかを学ばなければならない。
*自己のたましいを育み、自分自身への慈しみのこころをもつことこそが、
本当の愛への第一歩である。
*あなたはたましいに栄養をあたえているだろうか?…略…
たましいに栄養をあたえる行為とは、
もしかしたら、休日でも早起きをしてなにか「有益な」ことをするのではなく、
ただのんびりと寝ていることかもしれない。
あるいは、周囲に満ちている愛に身をまかせ、
愛が流れこむままにしていることかもしれない。
ちょっと一服 コーナー
《そんじょそこらの私が猛烈にお薦めする傑作映画選(未見は人生ちょっぴり損するかも!?)その2》
まさか2回目があるとは思ってもいませんでしたが、今回は気ままにダラダラ書いてみます。
さて、前回サラッとジャンルとタイトルでのみ紹介した5作は、
どれも私が自己採点を付け始めてから500本くらい?の
映画観賞歴の中での100点満点映画なので、1本でも観ていただけると嬉しい限りです。
それでは今回ご紹介する映画です。「紀子の食卓」2005年・日本 園子温 監督
私にとっての満点映画は前回挙げた5作を含めて15作ほどあるのですが、
その中でもし1本だけ選ぶなら、
きっとこれになるだろう満点&現時点でのマイベスト映画です。
にも関わらず、何故前回紹介しなかったのかと言いますと、
内容が強烈なために苦手に思う方も多いかもなぁ…って点からなんですが、
こんな物凄い映画が世間的にはイマイチ知られていない現状を憂いて、
やはりご紹介しないわけにはいきません。
ざっくりジャンル分けするならヒューマン映画で、内容は家族崩壊とその再生の模索、
そして、そもそも家族とは?人は生きる上で、コミュニケーションを図る上で、
何らかの役割を演じている?演じるべき?といった事を題材とした、
やや歪んだ現代ホームドラマである故に、タイトルから連想されるようなほのぼの感は皆無です。
それなので、休日の家族団欒の席で一家揃って観るなんてシチュエーションには全くもって向きませんし、
序盤のナレーションの多さ等、情報量が多い映画でもあるため、
しっかり集中して観ないと話がわからなくなる事請け合いなので、
1人で真剣に観るタイプの映画と言えるかもしれません。
が、かと言って別に敷居が高いような映画ではないので、その点はどうぞご安心をば。
お話は、ちょっと田舎で父、母、妹と4人で平凡に暮らす素朴な高校生(紀子) が、
ある時「私の居場所はここじゃない」なんて若気の至り的思考から、
家出してネット掲示板で知り合った女友達を頼って上京するところから始まり、
東京で紀子はその友人に誘われるままにレンタル家族なんて怪しげな仕事をする中で、
己の役割について考え始め…という感じで進んでいきます。
ここまでですと、フジテレビ「世にも奇妙な物語」でもありそうな展開なんですが、
この映画が凄いのはここからです。章仕立ての構成になっており、姉が家出した後の妹と父、
それぞれの立場、視点、価値観からもお話が描かれ、
その中でうさんくさい組織、若者達が起こす
とんでもない大事件も絡み合いながら、物語は最終章へと向かいます。
クライマックスはもう圧巻の一言で、この映画における家族、役割、
アイデンティティ総論のような内容でありながらも、小難しい退屈さは全くなく、
一体何がどうなってしまうんだろう?という緊張感、
ドラマとしての面白さをしっかり保っているのは本当に凄い事ですし、
観た人それぞれがそれぞれの思いを巡らせる事になるだろうラストシーン、終わり方も完璧です。
そして、映像や演出もまた素晴らしいんです。特に往年の名曲、
マイク真木の「バラが咲いた」をこんなにも効果的なBGM にした映像は他にないと思います。
陳腐な言い方ですが、哲学性とエンターテイメント性が
見事なまでに融合した映画とでも言いましょうか。
とりわけ、哲学めいた事を題材にした映画は、監督の独り善がりな思想語りとその押し付けに終始したり、
物語映画のスタンスを取っているにも関わらず、終盤になって物語を見せる事から逃げるように
アートぶった映像の羅列が続くだけの作品も多いのですが、この映画は違います。
ちなみに、私は土砂降りの雨の日の夜、渋谷の本当に小さな映画館でこの映画を観ましたが、
観賞後は思わずブラボー!と外人さんチックにスタンディングオベーションしたくなった程です。
が、もちろん、そこは日本人らしく、周囲から冷ややかな目で見られるのを回避するために我慢しました。
ただ、全ての人が揃って高評価をするタイプの映画ではありませんし、
バイオレンスやホラー映画ではないんですが、血が流れるシーンもありますから、
毛嫌いする方もいるかもしれません。しかし、最終的な好き嫌いはさておき、
それだけでこの映画を敬遠してしまうのはもったいないと言わざるを得ません。
テレビドラマの延長、過去の名作アニメの何故だかわからない実写化
のようなセンスの欠片もない映画が蔓延している昨今の邦画( 洋画) 界において、
この種のオリジナル映画は貴重な存在ですし、
この映画にはそんな安直に作られた映画にはない情熱とパワーがあります。
監督の園子温は北野武、西川美和と並んで今の日本を代表する素晴らしい映画監督だと思います。
他の2人に比べると作品ごとのクオリティにムラがあり、安定性には欠けますが、
この「紀子の食卓」はまさにその才能が如何なく発揮された、間違いなく園監督最高傑作であり、
世界に誇れる名画でしょう。( 園監督作では最新作「愛のむきだし」が日本および海外の映画フリーク、
評論家の間で最高評価を得ているようですが、私はこれには大反対です)
最後に、繰り返しにはなりますが、
悲しい事に一般的にはマイナー作品として扱われてしまっている映画なので、
レンタル店で置いていない所もあるかもしれませんが
(TSUTAYA のような大型店ならまず間違いなくあります)、
ここまで長々読んで下さって少しでもこの映画に興味を持った方には、
是非一度観ていただければ幸いです。
お目汚し、駄文失礼致しました。
以上Y. K.
<インフォメーション>
◎2010年度 総会:5月29日 14時〜
早稲田奉仕園セミナーハウス1 階102号室)
早稲田奉仕園のホームページはこちらをクリック
◎希望の会の研修会:次回 6 月26 日(土)午後
吉祥寺近辺で開催予定
編集後記
札幌は、まだまだフツーに氷点下!それでも、ちょっとずつ雪割がすすみ、春めいてきました。
そして、3月もあともう少しで終わりというこの時に、PCSGレターをお届けできてほっとしています。
原稿をおよせいただきました皆様、ありがとうございます。
第3号からはじまった「ちょっと一服コーナー」。会員の皆様から、紹介映画の内容を知りたいという声があり、
その希望を執筆者にお伝えしたところ、第4号で実現しました。500本の中の1 本とは驚きです。
執筆者からみた映画の世界が見え、ひきつけられます。
さて、レターを読んでいて、ふと思いだした新聞記事があります。今回はスペースがあるので、
ちょこっとここで、私の記憶に残っている部分( 手帳にメモあり)を紹介します。
「駅の通路や建物の入り口に扉がある。このとき "すすんで扉を支える人であってほしい"。
前の人が扉を押さえている。自分も次の何秒か同じ役を担う。
面倒だからとすり抜ければ、扉は勢いつけてしまってゆく。
先を歩く人が、手を離す前に "迷惑ではないですか" とばかりに振り返る。
乳母車を押す人やお年寄りはいないかと、さりげなく確かめる。
そんな姿をみるとほっとする。これは一種の共同作業。
背後にいてみえない人の立場に配慮できてるか。
ささやかなことだが、世が他者への配慮に満ちてゆけば、空気は明るくなるだろう。
この記事に出会った時 " やしささをつなぐ"ってこういうことかぁと、妙に納得しました。
そしてその日のうちに、そのささいなことを継続・実行することは難しいと、
身をもって実践した(扉を閉じた)私でした…( 苦笑)。
私の心の中の悲喜こもごも。
扉を開けて、扉を支え、次につなぐ人でありたいです。(くさ)